四国八十八ヶ所 巡り 入門では四国八十八箇所の巡り方、作法、地図、霊場一覧などをご紹介しております。

2010年1月

四国八十八箇所とは?

20100001.jpg四国八十八箇所とは、空海(弘法大師)ゆかりの霊所の総称で、四国に88箇所あることからそのように呼ばれています。

また、四国八十八箇所は『四国霊場』『八十八箇所』などと呼ばれる場合もあります。さらに、これらの霊場を巡ることを、『四国遍路』『四国巡礼』といい、これを行っている人のことを『お遍路さん』と言います。

四国八十八箇所の歴史は古く、平安末期から修行僧らがこれらを修行の場としたり、88箇所をめぐったりしたのだと言います。

ただし、これらはあくまで修行僧の間でのことで、庶民に根付いたのはこの後といわれています。

庶民が四国八十八箇所を回るようになったのは、室町時代になってからで、その後江戸時代には庶民の間で、大ブームとなりました。(現代のハワイ旅行のような感覚だったとも言われています)


お遍路用具

0001060001.jpgお遍路さんの必要道具をご紹介いたします。必ずしも全てそろえ中得れば成らないということはありませんが、菅 笠、輪袈裟、金剛杖、納 札、納経帳、などは少なくとも持参するべきでしょう。

 

 

 

 

 

菅 笠(すげがさ)

0001060002.jpg「同行二人」(弘法大師といつも一緒にめぐっているという意味)と住所氏名を書きましょう。また、笠の中央から四方へ「迷故三界城 悟故十万空 本来無東西 何処有南北」(迷うがゆえに三界は城なり、悟るがゆえに十方は空なり、本来東西なく、いずくんぞ南北あらん)と、お遍路の心得を書きます。

 

金剛杖(こんごうづえ)

0001060003.jpg弘法大師の分身と言えるものですので、大切に扱いましょう。

また、宿に着いたら大師の御足を洗うように杖の先を洗って、床の間に立てかけます。

また、大師が橋の下で一夜を過ごしたという言い伝えがあり、そのため、橋の上では決して杖をつかないようにします。

 

納経帳

読経の後御朱印を押していただく帳面です。最後には名前と住所を記載しておきます。

 

 

 

掛軸(かけじく)

0001060005.jpg御朱印をいただくための掛け軸です。

 

 

 


納 札(おさめふだ)

0001060006.jpg印刷の紙札に住所氏名年令を記人し、各お寺の本堂と大師堂の2ヶ所に納めます。遍路が互いに交換する名刺代わりにもなりますが、住所は悪用されることもあるため、十分い注意してください。

 

 

その他のお遍路用具

輪袈裟
笈摺(おいずり)
念珠
金剛鈴
頭陀袋
手甲
脚絆(きゃはん)
白衣
針・糸
白地下足袋
小銭
常備薬
洗面具
雨具
筆記用具


霊場の巡り方

四国霊場の全道程は1200km~1500km程度と言われています。

一度に全てを回ってもよいですし、何度かに分けて回ってもよいです。

また、最近はバスでめぐるツアーなどもありますが、ぜひとも自分の足で回りたいものです。

なお、健脚の持ち主であれば、40日程度、一般の方では60日ていどかかると言われています。

 

また、1番霊所から順番に廻ることを『順打ち』、八十八番霊所から逆に廻るのを『逆打ち』と言います。逆打ちは閏年にやる人が多いと言われています。それは、より多くの大師様のご利益があるからだと言われています。

 

また、一回のお遍路で全ての霊場を廻ることを『通し打ち』、分けて廻るのを『区切り打ち』と言います。

 

また、各県ごとに廻ることを『一国参り』などと言います。

 

重要なことは、これらには厳格なルールは無いと言うことです。

 

ご自分の体調や、スケジュールに合わせて廻られるとよいと思います。


四国八十八箇所 所在地マップ・地図

下記のマップは地図左上のツールバーで拡大縮小が可能です。また、鳥居のマークをクリックすると各札所の詳細を見ることが可能です。

 


より大きな地図で 四国八十八箇所 を表示


お遍路の心得と参拝作法

お遍路さんの心得をご紹介いたします。八十八箇所巡りは苦を伴うこともありますが、全ては弘法大師のはからいとおもい、心安らかに巡ってください。『心安らか』これが一番大切な心得と思います。

 

お参りする際の作法

その1 山門や仁王門に一礼して境内へ入る

その2 霊場へ入ったら、水屋で口をすすぎ、手を洗う

その3 鐘楼で鐘を撞く(ただし自由に打てるところのみで。また、帰りには絶対打ってはいけません)

その4 本堂向拝で所定の箱に納め札、写経を納める

その5 お灯明、線香、賽銭

その6 ご本尊に合掌し、読経(経本をひろげる)真言、祈願文、懺悔文、三帰文 三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、心経、十三仏真言、大師宝号、祈願、ご詠歌、回向文

その7 大師堂へ行き、本堂と同様に参拝する

その8 納経所で所定の納経料を支払い納経帖、掛軸 等に朱印をもらう(巡礼した証となり、全てそろうと大変美しくご利益がある、掛け軸は家宝にも)

 

十善戒

【一】 不殺生(ふせっしょう) >>>殺生することなかれ

【二】 不偸盗(ふちゅうとう) >>> 盗むなかれ

【三】 不邪淫(ふじゃいん) >>> 邪淫することなかれ

【四】 不妄語(ふもうご) >>> 偽りをいうことなかれ

【五】 不綺語(ふきご) >>>虚飾の言葉をいうことなかれ

【六】 不悪口(ふあっく) >>>悪口をいうことなかれ

【七】 不両舌(ふりょうぜつ) >>> 二枚舌をつかうことなかれ

【八】 不慳貪(ふけんどん) >>> 貪ることなかれ

【九】 不瞋恚(ふしんに) >>>怒ることなかれ

【十】 不邪見(ふじゃけん) >>> よこしまな考えを起こすなかれ

 

心得

第一信心に大師の御名を唱える。

専ら修行の心を持って巡拝する。

もろもろの生物を殺さない。

女にたわむれのことばなどかけない。

はらぐすりきつけ(保健薬)をもつ。

酒は飲まない。

同行者と口論なきようつつしむ。

身のまわりは軽く多額の金銭は持たない。

不必要な荷物は持たない。

食物の養生をする。

日のうちにはやく宿に入る。

夜中に宿を出ない。

(清水谷孝尚師著 『観音巡礼』より)


お遍路用語集

下記にお遍路用語集をご紹介いたします。

 

衛門三郎伝説

衛門三郎は、四国霊場にまつわる伝説上の人物。

 

四國邊路指南(しこくへんろみちしるべ)の刊行

ここまで四国遍路が盛んになったのは、貞享4年(1687年)に刊行された『四国遍路指南』という新書版の本の刊行による。この本を著したのは眞念という人であるが、そこには宿泊所情報なども盛り込まれており、遍路をしたい人にとって重要なガイドブックとなった。さらに、この本によって八十八箇所が固定化され、それまで順番などなかった札所の寺に順番が付けられたものと考えられる。

 

同行二人

仮に一人で四国八十八箇所をめぐっても、同行二人(どうぎょうににん)と言って常にお大師さん(弘法大師)と一緒にいる想いで巡礼している。「同行二人」は参拝の道具にも記されている。同行二人の巡礼者ともう一人は弘法大師以外でも、亡くなった家族や先祖、帰依する如来や菩薩などのことを想っても良いとする教えもある。

 

白衣

笈摺(おいずる)とも呼ばれる。巡礼者が着なければならないとされる、白い着衣。四国八十八箇所の寺院や門前の店で購入すると「南無大師遍照金剛」と背中に書かれたものが一般的である。袖があるものを白衣、袖無しのものを笈摺とする説明もあるが、はっきりと区別されているわけではない。宝印を受領するためだけの実際には着衣しない白衣は判衣とも呼ばれる。巡礼の途中でいつ行き倒れてもいいように死装束としてとらえる説もあれば、巡礼といえども修行中なので清浄な着衣として白を身につける、どんな身分でも仏の前では平等なのでみな白衣を着るとする説もある。

 

金剛杖

木製の杖で空海が修行中に持っていた杖に由来する。巡礼者が持つ金剛杖は弘法大師の化身ともいわれるほどで、宿に着いたら杖の足先を清水で真っ先に洗い、部屋では上座や床の間に置くなどの扱いをするのがならわしである。巡礼中、行き倒れた巡礼者の卒塔婆として使用されたといわれる。市販されているものは「同行二人」「南無大師遍照金剛」や梵字が書かれ、般若心経が書かれているものもあり、杖の上部の細工は塔頭を模している。橋の上ではついてはならない(後述)。

 

逆打ち

四国を時計回りに札所の数字を昇順に巡礼するのを順打ちといい、反時計回りに降順に巡礼するのを逆打ちという。第一番札所から巡礼を開始し、逆打ちする場合は第三番札所金泉寺から大坂峠越えで第八十八番札所大窪寺に向かうのが一般的であったといわれている。
映画『死国』では禁忌などのようにとらえられているが、順打ちよりも困難な場合が多く、ご利益が順打ちよりも大きく、順打ち3回分のご利益があると言われている。また、逆打ちだと順廻りしているお大師さんと遭遇する確率が高いので、この理由でご利益があるとも言われている。

 

お接待

茶堂の例(四国村。北宇和郡より移築)道中、お遍路さんに対して地元の人々から果物や金品、善根宿など、お接待または接待とよばれ、食べ物や飲み物、手ぬぐいやときには現金を渡す無償の提供がなされる伝統がある。これに対し、遍路は持っている納札(おさめふだ)を「お接待」してくれた人に渡すことになっている。こうした文化のおかげで、昔は比較的貧しい人であってもお参りができたといわれる。今日でも四国西南部ではお接待の場ともなった「茶堂」が残っている。「お接待」の心は、接待することによって功徳を積む、巡礼者もまた弘法大師のある種の化身であるという言い伝えからや、一種の代参のようなものとか様々である。観光振興や観光従事者の研修等では「もてなしの心」と拡大解釈されることがある。もともと、関西で西国三十三箇所観音霊場の修行者、巡礼者に対して始まったとされるが、観光化、俗化したために関西では早くに廃れたといわれている。四国以外の地域でも、接待講と呼ばれる講を組み、浄財を集め、四国で遍路にたいして接待をするということも行われた。

 

納札

札所などにお参りし、納経した証に収める札。般若心経を写経したものを納めるのが正式とされているが、読経したのちに自分の名前を書いた納札を納めても良い。衛門三郎が自分が空海を探しているということを空海に知らせるために(空海が立ち寄ると思われる)寺にお札を打ちつけたのが始まりとされる。かつては木製や金属製の納札を山門や本堂の柱などに釘で打ちつけていた。このことから、遍路自体や、札所に参拝したことを「打つ」とも言う。現在では、お寺の建築物の損傷を避け、持ち運びの利便性を考え、紙製の納札を納札箱に入れることなっている。また、接待をしてもらったら、その人にお礼の気持ちも込めて納札を渡すのが決まりである。結願した回数によってお札の色を変えてもよい。1~4回が白、5~7回が緑、8~24回が赤、25回以上で銀、50回以上で金、そして100回以上で錦の札となる。ただし、白より錦の札がより良いとされるわけではない。100回以上回っても白の納札を使う人もいる。

 

善根宿

善人宿とも呼ばれる。広義では自宅の前を通った遍路に「一晩泊っていきなさい」と一夜の宿を提供するのも善根宿といわれる。一般的には「お接待」の心で善意で用意された簡易宿泊施設である。施設を提供するのは個人や企業、地域ぐるみなど様々である。

 

通夜堂

本来は寺院内で夜を徹して読経や真言を唱える修行をするための施設(お堂)だが、四国八十八箇所においては霊場が巡礼者にたいして用意した簡易宿泊施設という意味合いが強い。宿坊とは違い寝るだけの最低限の設備しかない(布団も基本的にはない)。かつては通夜堂を持つ霊場が多かったが、旅館などの宿泊施設が増えたことや、利用者のマナーなどの問題により減少し、現在では通夜堂を持つ霊場(小屋やガレージなどを一時的に利用しても良いとする霊場を含む)は2割程度である。

 

十夜ヶ橋(とよがはし)

現在の愛媛県大洲市付近で空海が一宿を求めたがどの家からも断られ、仕方なく橋の下で寝ることとなった。寒さと旅人が杖で橋を突く音でまったく眠れず、一夜が十夜にも感じられた、という和歌が残っている。このため巡礼者は橋の下には空海がいるかもしれないから橋をわたるときは杖を突いてはならないというならわしがある。すぐそば、国道に面して永徳寺(番外霊場)があり、お参りする人も多い。現在、その橋は「十夜ヶ橋」と呼ばれ国道56号の一部となり、交通量の多いコンクリート橋になっているが、橋の下で空海を偲びつつ野宿することができる。雨期には冠水する場合もあり、夏季は蚊が多いので注意を要す。

 

地四国・島四国

四国八十八箇所のことを略して「お四国参り」あるいは「お四国」「お大師さん」と呼ぶことがあるが、四国には各地に民衆信仰としての地四国あるいは「ミニ四国」「新四国」と呼ばれるものがある。離島では島を四国に見立てて、八十八箇所を再現した島四国も瀬戸内海を中心に存在する。

 

先達

四国八十八箇所霊場会では、昭和30年代に「公認先達」という認定制度を発足させた。ツアー会社の団体巡礼に同行する先達はほぼ「公認先達」である。徒歩による巡礼のガイドを引き受けてくれる先達もいる。公認先達は最低4周以上の巡拝経験が必要である。その上で研修を経て補任される。

 

中司茂兵衛(大先達)

弘化2年生まれ。四国八十八箇所巡礼を慶応2年から大正11年まで歩きで280回巡拝した。また、しるべ石を240基余りを建立した。


出典WIKIPEDIA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E9%81%8D%E8%B7%AF%E3%81%95%E3%82%93


第一番札所 竺和山 霊山寺

 

第一番札所 竺和山【じくわざん】霊山寺【りょうぜんじ】

 

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高野山真言宗

 

ご本尊:釈迦如来

所在県:徳島県

住所 ::徳島県大麻町板東126

電話 :088-689-1111

本尊真言:のうまくさんまんだぼだなんばく

ご詠歌:霊山の釈迦の御前にめぐりきてよろずの罪も消えうせにけり

 

礼所への行き方

電車::JR四国高徳線板東駅下一般800メートル
バス::徳島バス、鳴門市営バス、大麻線『霊山寺前』下車100メートル
一般::県道12号線霊山寺前
高速:高松高速板野インターチェンジより3.0km

 

前後の札所とその距離

88大窪寺<<<【約 3880m】>>>1霊山寺<<<【約 1400m】>>>2極楽寺

 

解説 

 奈良時代、天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創された。

弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け第一番札所としたという。本尊の釈迦如来は空海が刻んだもので左手に玉を持った坐像である。

室町時代には三好氏の庇護を受けており、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つであったが、天正年間(1673年 - 1693年)に長曽我部元親の兵火に焼かれた。その後徳島藩主蜂須賀光隆によって再興されたが明治時代の出火でまた多くの建物を失った。本堂と多宝塔以外は近年の再建である。

出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%B1%B1%E5%AF%BA_(%E9%B3%B4%E9%96%80%E5%B8%82)

 


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第一番札所 竺和山 霊山寺の動画


第二番札所 日照山極楽寺

 

第二番札所 日照山【にっしょうざん】極楽寺【ごくらくじ】

 

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高野山真言宗

 

ご本尊:阿弥陀如来

所在県:徳島県

住所 :: 徳島県鳴門市大麻町字檜ダンの上12

電話 :088-689-1112

本尊真言:おんあみりたていぜいからうん

ご詠歌:極楽の弥陀の浄土へ生きたくば南無阿弥陀仏口ぐせにせよ

 

礼所への行き方

電車::JR四国 高徳線阿波川端駅下一般1.1キロ
バス::鳴門市営バス:大麻線『二番札所 前』下車100メートル
一般::県道12号線極楽寺前より 100メートル
高速:高松高速板野インターチェンジより2.3km

 

前後の札所とその距離

1霊山寺<<<【約 1400m】>>>2極楽寺<<<【約 2600m】>>>3金泉寺

 


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寺伝によれば、奈良時代(710~784)、行基の開基という。弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地での三七日(21日間)の修法で阿弥陀経を読誦したところ満願日に阿弥陀如来の姿を感得したため、その姿を刻んで本尊としたといい、この阿弥陀如来の後光は遠く鳴門まで達し、魚が採れなくなったため、困った漁民たちが本堂の前に山を築いて光をさえぎったということから「日照山」と号するとされる。

天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失。万治2年(1659年)に阿波藩主によって再建される。

出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%A5%BD%E5%AF%BA_(%E9%B3%B4%E9%96%80%E5%B8%82)

第二番札所 日照山極楽寺の動画


第三番札所 亀光山 金泉寺

第三番札所 亀光山【きこうざん】金泉寺【こんせんじ】

 

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高野山真言宗

 

ご本尊:釈迦如来

所在県:徳島県

住所 ::徳島県板野郡板野町大寺66

電話 :088-672-1087

本尊真言:のうまくさんまんだぼだなんばく

ご詠歌:極楽のたからの池をおもえただこがねの泉澄みたたえたる

 

礼所への行き方

電車::JR四国高徳線板野駅下車700メートル
バス::徳島バス、鍛冶屋原線『板野駅前』下車700m
一般::県道12号線大寺 より300m
高速:高松高速板野インターチェンジより1.0km

 


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第三番札所 亀光山 金泉寺の動画

 

 

寺伝によれば天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したという。弘仁年間(810年 - 824年)に、空海(弘法大師)が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。

亀山法皇(天皇在位1259~1274)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀った。また、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。また、源平盛衰記には、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。

1582年(天正10年)には長曽我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失たが、建物はその後再建され現在に至る。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。

出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B3%89%E5%AF%BA

 

前後の札所とその距離

2極楽寺<<<【約 2600m】>>>3金泉寺<<<【約 5000m】>>>4大日寺

 


第四番札所 黒巖山 大日寺

 

第四番札所 黒巖山【こくがんざん】大日寺【だいにちじ】

 

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東寺真言宗

 

ご本尊:大日如来

所在県:徳島県

住所 ::徳島県板野郡板野町黒谷5

電話 :088-672-1225

本尊真言:おんあびらうんけんばざらだどばん

ご詠歌:眺むれば月白妙の夜半なれやただ黒谷に墨染めの袖

 

礼所への行き方

電車:JR四国高徳線板野駅下車4.5km
バス: 徳島バス、鍛冶屋原線『羅漢』下車2.3km
一般: 県道34号線大日寺前100m
高速:高知高速板野インターチェンジより約7km

 


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第四番札所 黒巖山 大日寺の動画

 

寺伝によれば空海(弘法大師)がこの地での修行中に大日如来を感得、一刀三礼して1寸8分の大日如来像を刻み、これを本尊として創建したと伝えられる。この地が三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたところから黒巌山とし、本尊より大日寺と号したという。

荒廃と再興を繰り返したが、徳島藩5代藩主蜂須賀綱矩の帰依がつよかったため江戸時代中期の宝暦(1751年 - 1763年)頃には堂塔の大修理が行われた。1998年から住職を務める真鍋俊照は仏教美術学者として著書多数あり、四国大学教授である。

出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%AF%BA_(%E6%9D%BF%E9%87%8E%E7%94%BA)


 

前後の札所とその距離

3金泉寺<<<【約 5000m】>>>4大日寺<<<【約 2000m】>>>5地蔵寺

 



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